みんなが当たり前にできていることが、できない。なんでできないんだろう。と思った経験は誰しも一度はあるはず。
私もそうで、特に数字を合わせる、集団行動、黙って上に従う・・・そのあたりがとても苦手。
学生の時もそうだったけど、社会に出ると顕著にその「周りができているのにできないこと」が見えてきてしまって、自分ってなんてダメなやつなんだと思ったりする。
そんなあなたに見てほしいアニメ(漫画)がある。週刊少年ジャンプで2015年から連載中の「ブラッククローバー」だ。
1分でわかる「ブラッククローバー」
魔法がすべての世界が舞台のファンタジー。主人公は、生まれつき魔力がない「アスタ」。
魔力がない=魔法が使えないことは、この世界では非常に『ありえないこと』であり、更にチビ・孤児・下民という、トータル4重苦を抱えているアスタ。
そうした理由により、周りからバカにされ、蔑まれがちだが、持ち前のポジティブさとあきらめの悪さで、魔法使いの頂点である『魔法帝』になることを、堂々と宣言し続ける。
その後はなんやかんやありグリモワール(魔導書)をなんとか得、魔力は相変わらずないままだが、代わりに「魔法を打ち消す力」があることが判明する。
そして、その力とあきらめの悪さを黒の暴牛団長・ヤミにかわれ、「魔力がない」という前代未聞なスキルで魔法騎士団に入団し、物語は始まる。
ライバルであり親友のユノや、黒の暴牛の団員たちと切磋琢磨し『魔法帝』を目指すという、めちゃくちゃ王道なジャンプものである。
できないものはできない。ではどうするか。
話の展開自体はまぁ、王道なのだけど、ここまで何もない主人公がいただろうか。まさに同情するなら魔力くれ、である。
4重苦とまではいかないまでも、アスタのように「どうしようもないことによる挫折」は誰しも経験があると思う。
私の場合、生まれつき集団行動が苦手なタイプ。学生の時もそうだったが、社会に出てから顕著になったと思う。大人数での仕事や、チームで進める仕事に苦痛を感じ、ストレスが体調に出る。仕事の内容よりも人間関係に労力を吸い取られてしまって、仕事が終わるとくたくたになる毎日。
これはたぶん、アスタと同じように「どうやっても克服できないこと」だなって最近思うようなった。努力とか、そういう問題じゃなくて、生まれつきの「できないこと」。
じゃあ、魔力のないアスタが「魔法帝になるための第一歩」としてどうしたかというと、ひたすら体を鍛えたのだ。それはもう後にヤミ団長に引かれるくらいガッチガチに。ゲームでいうところの、魔力攻撃系から物理攻撃系にシフトした、みたいな感じ。
できないことと無理やり向き合うのではなく、今できることをやって、得意なことを最大限にまで引き上げることに時間を使う。
これは、今の仕事が向かない・苦しいと悩んでいた私にとって、とてもいいヒントになった。向かないことを頑張っても自分のいいところは伸びないし、むしろ「できない」を毎日呪文のように唱えていては、自己肯定感だけがどんどん下落するばかりだ。
そうか。バカスタ、ありがとう。
前提条件や固定概念を書き換える、ぶっとんだ思考。
普通「魔力がないと魔法帝になれない」という前提条件をつきつけられたら、人は「魔力をなんとかして手に入れる方法を考える」か、もしくは「魔法帝をあきらめる」のどちらかの結論に達すると思う。
私で言い換えるなら、「集団行動ができないと社会人とはいえない」という前提条件に対して、「なんとかして集団行動ができるようになる・我慢する」もしくは、「私って社会人としてダメなんだな」のどちらかにたどり着く。
しかし、アスタはその前提条件を華麗にスルーし、「魔力がなくても魔法帝になれる」と勝手に書き換え、自分がその第一号になればいいんだろ、と思っている。
こうして字に起こしてみると、アスタ、相当ぶっ飛んでんな。やはりジャンプの主人公って感じ。
これを私に言い換えると、「集団行動なんかできなくても立派な社会人といわしめてやる」みたいなもん。
あ、でもこれ、なかなか使える思考なのでは?
別になにもチームでする仕事だけが仕事じゃない。自分の中に勝手に「会社員はチームやプロジェクトで仕事をするもの」という固定概念があっただけなのかな。
アスタの底抜けのポジティブさは、あなたの固定概念をぶっ壊してくれるのかもしれない。
大人が見るとちょっぴり青臭い。だけどその過程に生き方のヒントをもらえて、元気になれる。
アニメがすっごく長いので、まだ2期の途中まで見ている状況。ちなみに推しはヤミ団長とバネッサ姉さんです。
面白いんだけどやっぱり大人が見るにはちっと青臭いなーって感じることも多い。夢はかなう!みたいなのって、大人になるとどうしても眩しすぎたりする。
一方で、子供の時には持っていなかった視点、今回でいうと「魔力のないアスタが魔法帝になるための過程や思考」を紐解きながら、自分に重ねて視聴してみると、こういう作品は入り込める。
ブラッククローバーを見ながら、私が得たヒントをまとめます。
- どうやっても「できない」ことへの向き合い方
- 通常であれば「できるようにならなくては」と考えがち。
- アスタは「できないものはできない。だったらできることに注力する」方向へシフトすることで、自分なりにゴールへ近づく道を切り開いている。
- 前提条件や固定概念をアップデートする
- 「魔力がなければ(A)魔法帝にはなれない(B)」という前提条件をみると、通常は(A)という条件がない状況だと、あきらめたり、それを埋めようと努力するもの。
- アスタはその前提条件そのものを覆し、新たに自分で「魔力がなくても魔法帝になれる」という概念を作ろうとしている。
こうしてみると、ウルトラポジティブというか、ジャンプっぽいですね~。だけど、これらは大人になって守りに入って、いつの間にか忘れていた「だいじなこと」だったりもする。
がんじがらめの固定概念がはびこる社会生活で、私たちは「個」を消され、生きづらさで窒息してしまいそうな毎日を送っている。
社会生活では周りと同じであることを強制され、当たり前ができないと疎まれ、「どうせ私なんて」と嘆いて、どんどん自分を嫌いになる。
そんな時は一度、ブラッククローバーを見てみてほしい。忘れていた「自分が生きやすく生きるためのヒント」が見つかるはず。そして、どこまでも諦めの悪いアスタを見ていると、あまりにも馬鹿らしくて、ちょっぴり元気がもらえるから。
さて、転職の準備でも、しようかな。
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